時屋のこだわり
心から「美味しい」と思っていただくには、味はもちろん「安心」が大切だと時屋は考えます。
本当に「美味しく」召し上がっていただくため時屋では徹底した品質管理を行っています。
大切な方への贈り物としてもどうぞ。
安心して食べていただける自家製麺
厳選した国産の小麦に、コシを持たせる外麦を混ぜ合わせ粉の香りと程よい噛みごたえを大切にした自家製麺です。
つけ麺用、らーめん用とを別に製麺し、配合・加水率・切り刃をそれぞれ変え時間と手間とこだわり、常にお客様への真心と技を大切に毎日丁寧に仕上げています。
最も美味しい瞬間は「後味」です。
昨今、食品の安全性や信頼性が求められる中。
私たちは全行程に渡って常に細心の気配りと安全性を意識しご提供させて頂いています。
特に製麺の原料である卵に関し、「全卵粉」を使用して自家製麺が出来上がるまでの安全性を高めております。
化学調味料一切なし!
全て形ある食材から
引き出した旨味です
「時屋」のつけ汁は化学調味料を一切使用しておりません。
すべて形ある食材から引き出した旨味成分です。
「身体が自然と欲する自然の旨味」を供したい、料理人としてそう思うからです。
本当に安心して
召し上がっていただくため
専用設備・研究施設
「R&D」を併設
当店では、店頭でのつけ麺の提供だけでなく、ご自宅でもお楽しみいただけるお持ち帰りにも注力しています。
お持ち帰り用のために「R&D」という専用設備・研究施設を併設しております、安心してお買い求め下さい。
店主よりお客様へ
時屋のHPをご覧頂きありがとうございます。
つけ麺を通して私なりに出来ること、「新しい味」と「本当の旨さ」を
全国いや世界に提案していければな、と夢を持っております。
僭越ながら、私のつけ麺・ラーメンに対する想いをここに書かせていただきます。
ラーメンとの出会い
海外留学中に出会った人と店
そもそも私がラーメンと出会ったのは海外留学中のことでした。
ワーキングホリデービザと言うもので、海外で1年間働きながら異文化を体感・勉強するというビザです。
調理技術には自信があった私は、飲食店を中心に仕事を探しました。
そんな時に丁度、現地に住む日本人オーナー(工藤さん)が、
新しくラーメン店を開店すると言うことでスタッフ募集をされていました。
工藤さんはもともと日本食レストランの海外展開で成功されていましたが、ラーメンへの思いが熱く、
レストランを売却し、ラーメン店「MENTATZ」を立ち上げ、私はそこで働くことにしました。
ラーメンに全く興味が無かった私が、今こうして時屋と言うブランドを作れたのも、
「MENTATZ」との出会いがあったからです。
「MENTATZ」というラーメン店
「MENTATZ」は海外の物件と言うこともあって非常にオシャレでステキなお店でした。
お店は瞬く間に大ヒットして当時海外では珍しい行列の出来るお店となりました。
今でこそラーメンと言えばニューヨークやヨーロッパを中心に世界中で、
寿司や和食を超えそうな勢いで盛り上がってきていますが、当時私が海外にいた頃は、ラーメン店すら数少なく、ましてや外国人が行列を作ること自体珍しい光景でした。
「MENTATZ」はその走りだったような気がします。
私のラーメン観を変えた「MENTATZ」
実は私はラーメンに興味がなかったせいか、ラーメン屋と言えば、
「早いよ、安いよ、ウマイよ、汚いよ」と言うイメージでした。
これは育った町大阪がまだまだラーメン発展途上だったからなのかもしれませんが、
それを覆して、私をラーメン店主にまでさせてしまったのが「MENTATZ」です。
私にとって「MENTATZ」はオシャレで綺麗でナイスで格好良くて斬新で新鮮で美味で人気がある、
それはもう毎日鳥肌が立つようなお店でした。
すべては工藤さんの作り出した味やコンセプト、
そして人柄そのものが多くの人の心を動かしたのだと思います。
時屋にお越しいただいた方はお分かりになると思いますが、現在の時屋の
カフェやバー、レストランのようと言われる内装は「MENTATZ」を参考にしており
女性の方でも入りやすいと好評をいただいております。
そんな「MENTATZ」で私はメインのポジションで働かせて頂き、海外独特の雰囲気を肌で感じながら、
毎日毎日寸胴とにらめっこをして、麺、粉、食材、また日本にはない食材と向き合いました。
それは日本の環境とは違って刺激の多いものでした。
整っていない環境だからこそ成長できた
そして何よりも自分の成長の糧になったのは、「海外事情」と言うもの。
私の主観ですが、私が住んでいた町は日本より仕事が「ゆるい」気がします。
体感した事なのですが、田舎に行けば行くほど、その色は濃くなります。
例えば納品規格や食材はコロコロ変わり
「今日ゲンコツが少なかったから豚足をいっぱい持ってきたよ」と、
普通に納品業者のおじさんに言われたりします。
ラーメン店が少ないこともあってか、豚骨類などの食材が安定しないのは分かりますが、
日本ではほぼあり得ない話です。
ですがそんな不安定な食材事情であっても「MENTATZ」の味を落とすわけにはいきません。
その度に豚足多めや豚頭多めなど試行錯誤を繰り返しながらスープを作っていました。
鶏がらスープのガラも首が付いていないのが主流で日本産とはダシの出方も違いました。
そういった経験により多くの種類のクセや特徴を学べました。
その経験がまさに私の血となり肉となり今の時屋を支えています。
そしてそんな「MENTATZ」との出会いが、
私の夢を「行列の出来るラーメン店」に変えてしまいました。
また「MENTATZ」の卒業生で、帰国後ラーメン店主として独立したのは、私を含め今で3名。
それだけ影響力のあるお店だったと思います。
日本では出来ない大変貴重な、内容の濃い経験をさせて頂きました。
帰国後の修行
元フレンチシェフの板長との出会い
勿論帰国後の日本での飲食店経験もものすごく勉強になりました。
しかしラーメンで天下を取るにはラーメン屋で修行していても意味がないと思い、
ラーメンに特化していない沢山の食材を触れるような厨房での仕事を選びました。
中でも大阪梅田の鶏料理専門店の板長(元フレンチシェフ)との出会いは大きかったです。
10種類の塩の味
短い期間しかお世話になれませんでしたが、出会って2日目に塩を10種類ほど持ってこられ、
「この塩全ての特徴を書き出せ」と言われました。
塩そのままの味、水で薄めた味、それぞれの特徴をつかみ書き出すのです。
私が初めて本格的に味覚と言う神経を意識した瞬間でした。
こういった神経に意識を集中させる事を繰り返して、自分の味覚に磨きがかかっていきました。
ラーメン屋である前に一人の料理人として
そんな厳しくも尊敬できる板長のもとで働かせて頂き、料理や食材のこと、料理人としての食材の扱い方などを、徹底的に学ぶことができました。
センスや感覚だけで行っていた私の料理が、見る見るうちにデジタル化され、知識も膨大に増え、
技術共に大きく成長できました。
知識や考え方が180度変わり、今の時屋にも反映されています。
例えば醤油では数種類、砂糖も5〜6種類、調理工程に合わせて使い分けます。
豚骨も各部位によって産地を変え、産地による豚の「血」の味の使い分けもします。
「血」と聞くと生臭さや鉄臭さを連想される方もいらっしゃるかと思いますが
フランス料理でも血液を使ったシヴェ・ソース 、あえてうっ血をさせて調理するエトフェ鴨など
血液そのものはけっして食味を損なうものではなく扱い方さえ間違えなければ非常に美味なものです。
そういった「良いクセ」を当時、徹底的に植えつけてもらいました。
ここまでの考え方になるには、板長との出会いが相当大きかったと感じております。
時屋のその後
真面目に真剣に料理していればお客様には必ず伝わる
2009年3月14日、沢山の思いと夢をのせて、
大阪西中島にて念願のラーメン・つけ麺店「時屋」をオープン。
オープンして2ヶ月頃には行列の出来る店となりました。
自分でも驚くほどの早さでしたが、お客様に可愛がって頂いたおかげだと思っております。
無化調(化学調味料不使用)で真面目に真剣に料理していればお客様には伝わる、
そう確信できた瞬間でした。
その後、雑誌やテレビ、ラジオなどでも多数取り上げて頂き、
またローソンさんとのコラボ商品が出来るなど、
時屋の名前は一気に近畿圏に広がりました。
師匠たちと同じく、この時屋と言うお店も、私を大きく成長させてくれました。
と言ってもまだまだです。まだまだ伸び代はあります。
偉そうな事を言っていますが、まだまだこれからのお店だと思っております。
今出来る全ての事を盛り込んで、精一杯提案し提供していきたいと思っております。
「安心」と「美味しさ」のためなら「やりすぎ」はない
そして時屋をもっと沢山の方に知って頂きたく思い、今回通販事業部を立ち上げました。
当店では、店頭でのつけ麺の提供だけでなく、ご自宅でもお楽しみいただけるお持ち帰りにも注力しています。
お持ち帰り用のために「R&D」という専用設備・研究施設を併設しております、安心してお買い求め下さい。
「R&D」では唯一無二の味を求めてセントラルキッチンとして日々研究も行い、つけ麺・ラーメンを軸に日本全国、将来は世界に向けて「新しい味」と「本当の旨さ」を提案・提供していければなと思っております。
今後とも時屋を宜しくお願い致します。